竹頭帖「原爆記念日に」(昭和三十三年)

 原爆の十三回忌がやって来た。戦災の傷痕も殆どなくなったが、原爆だけは違う。今年になって、原爆で六十五人もの人が死んだそうだ.その他に、廣島や長崎にいただけで、常に死の恐怖におびえて生活している人が、どれ程いるか分からない。こんな悲惨な運命に、私たちをおとし入れた、アメリカの良心は、どのくらいさいなまれているか。アメリカの生化学者で、ノーベル賞受賞者のボーリング博士は、昨年来アメリカの科学者たち二千人に呼びかけて、原水爆禁止國際協定をつくらせる運動の先頭を切った。
 十二日から二十日まで、東京で開かれる原水爆禁止世界大會も、すでに第四回を迎えた。こういう世界の良心の聲をよそに、各國があえて、核兵器武装をし、原爆實驗をするのは、何とした矛盾であるか。
 私の息子は、終戦時に兵隊にとられて、廣島の手前十里ばかりの八本松と云うところにいた。そして廣島におとされる原爆を見た。整列していた兵隊が一瞬とび上がるほどのショックだったという。そして翌日、行軍して廃墟の廣島のあと片づけに使役された。暑い日で倉庫に残っていた、冷凍みかんなぞを、むさぼり食ったという。
 私は息子が九月に歸って來ると、すぐに病院で血液検査をした。異状はなかった。父子ともにホッとした。しかし今日にいたってなお原爆症で死んでゆく人たちの記事を、新聞で見ると、心平らかでない。それをみている息子の顔も、平常に似ず、暗い影がさす。
 いつだったか、「オレも長生きできんかも知れんぞ」と云った。
「そんなバカなことはないよ、もう心配いらんよ」と私は答えたが、何の自信もありはしない。たった一日、被爆の翌日、その場所で働いたというだけで、死の恐怖におびえなければならぬという運命に、はげしい憤怒を感じ、ただただ無事であってくれと祈る以外に方法もない。息子は幸いに元気で、この八月は友人たちと、南佛サントロッペに寫生旅行にゆくと巴里から便りを、いま寄こした。元氣で愉しく勉強して来いと、祈るばかりである。
「さつま」「拓洋」の兩船が、太平洋赤道付近で、放射能に強く汚染されたため、観測を中止して、七日東京に歸港した。東京ではその道の権威が集まって、船員百十三人の健康診斷を行う。
ワシントン四日發のAPは「拓洋」「さつま」兩船の乗組員は危険な放射能を受けていないと云う醫学的報告書を、米政府は日本の外務省に送った、と伝えている。この報告書は、オーストラリア、米兩國の検疫醫が作成したという。どうか、それが眞實で、一人の被害もなくあってほしい。(*)
そして何よりも、實驗を止めろ。


以上 宮田重雄著『竹頭帖』  文藝春秋社刊(昭和三十四年)より


*この翌年「拓洋」主席機関士が急性骨髄性白血病のため死去している。
−−−「観測測量船「拓洋」「さつま」被爆
昭和33年7月21日]南太平洋  船舶2隻被曝
7月21日、海上保安庁の観測測量船拓洋から、被爆により乗組員の白血球数が減少したとの報告が届いたため翌日、同庁は拓洋と僚船さつまとに帰国を指示、両船は8月7日、東京に帰港した(拓洋の乗組員のうち首席機関士が翌年8月3日、急性骨髄性白血病で死亡)。... (昭和災害史事典)

−−−海上保安庁の観測船拓洋の主席機関士、永野広吉氏が国立東京第一病院で急性骨髄性白血病のため死去。34歳。拓洋は前年7月、海洋観測で赤道海域を航行中ビキニ西方海上で米水爆実験の死の灰を浴びる。 
ヒロシマ平和メディアセンターヒロシマの記録1959八月」http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20100805094047719_ja&mode=print))
原子力年鑑 1960年」 137ページ「核兵器反対運動」の項にも「拓洋」の記述をみつけたが、こちらは原発推進側なので、主席機関士の死の直接の関連性には懐疑的な意見もある、という調子。
http://www.lib.jaif.or.jp/library/teiki/nenkan/nenkan1960.pdf

そして、亡くなったのは本当に一人だけなのか、その数年後に影響のあった方はないのか、と疑問に思いネット上調べたところ、以下のテキストを見つけた。

ビキニ水爆実験被災50年 2004年3・1ビキニデー「もう一つのビキニ事件」1000隻を超える被災船を追う/山下 正寿(高知県ビキニ水爆実験被災調査団)より抜粋:
「日本政府は1958年、ビキニ事件から4年後の7月、海上保安庁の観測船・拓洋、同巡視船・さつまを南太平洋に派遣し、国際地球観測年の調査にあたらせ た。7月14日夜から放射能が強まり、雨から10万8000カウントを検知した2隻は急きょ南下し、18日にラバウル港に避難した。日本への岐路、両船の 乗組員は白血球減少症が多発、帰国後の東京大学病院での検査で観測員が急性放射能障害と診断された。
http://www10.plala.or.jp/antiatom/jp/NDPM/Bikini/04bikini/Intlsymp/j_04bkn_yamashita.htm
原水爆禁止日本協議会 http://www.antiatom.org/

亡くなられた主席機関士の方以外にも、実際は多くの乗り組み員が被害を受けていました。また、この1950年代〜60年代初頭の数々の水爆実験でこれほどまでに日本の漁船や調査船が被爆していることなど、このサイトを読んで初めて知りました。その後の追跡調査や公的記録などは国によってはなされていず、(以下再び抜粋)「高知県ビキニ水爆実験被災調査団も11月 に再開し、「ビキニ被災50年」を風化させないための活動を開始した。特に、第二次調査は、因果関係立証に近づけるために、重要な被災船3隻に集中した。(中略)新生丸(安田・172トン)の乗組員については、同じ漁村から同じような船に乗り継いだ7名をグループとして追跡した。7名は1954年の南方海域 の操業中に白い灰を目撃し、東京入港したときに検査を受け、魚、船体、漁具に異常が認められたと全員が証言しているが、3月19日から4月1日までの公的 記録がぬけている期間に入港したとみられる。このグループはもう一度、1957年に第八達美丸などに乗ってサモア諸島海域で操業中に、クリスマス島の核実 験を目撃している。7名中生存者は1名であり、病死者6名(がん4名、心臓発作2名)中、50代が3名であった。生存者の1名も心臓近くの血管と胃の手術 をしている。なお、この新生丸は19名の乗組員が保険登録されており、死亡者は14名、生存者2名、不明者3名であった。同じ漁村からのマグロ船に乗らなかった70歳代の男性は全員元気であると証言している。第二幸成丸、新生丸の2隻だけでみると、乗組員のうち半数以上が40〜60歳代で死亡しており、あまりにも早い死亡率となっている。」
当時このように多くの水爆実験での被害があったにも関わらず、同時に日本は原子力発電開発に邁進していくのだ。
そしてまた50年後に福島原発の大事件へと連鎖していく。
何も解決していず、収束もしていない。
「人間の歴史を学んで分かることは、人間は歴史から何も学ばないということだ」 ヘーゲル

Bradley Wiggins讚

UKの2012年を振り返ると、クイーンのゴールデンジュビリーとロンドンオリンピックで盛り上がった年であった。
普段スポーツに興味のない自分も随分とスポーツ観戦した。オリンピックの前からアンディー・マレーが久々の英国人として優勝できるかもと大いに期待されたウインブルドンの決勝、次いで、初の英国人の優勝か、とこちらも大いに期待されたブラッドリー・ウィギンスのツール・ド・フランスはドキドキしながらテレビを観たのでした。
英国の夏の名物の一つでもあり、伝統でもあるウインブルドン選手権男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリー以来英国人の優勝はないのでマレーの活躍には、これで積年の願いが叶うかと期待は大変なものであった。
結局スイスのフェデラーがまたまたタイトルをとってしまった。残念。オリンピックでは再びマレー対フェデラーの対戦でマーレーがゴールドをとったが、フェデラーがマーレーに花を持たせたんではないかと言う気がする。スポーツマンとして敢て負けるということはないにしても、彼の意識のなかで、ま〜これで勝たなくてもいいっか、マーレーに勝たせてやりたい、 という気が少しあったりしたのではないか。
一方、ブラッドリー・ウィギンスはフランスの夏の名物で伝統のツール・ド・フランスで初の英国人として優勝したのであった。これは快挙中の大快挙である。何日も続く競技で段々ウィギンス 優勝か?!という状況になるとともに、テレビ中継から夜のニュース報道もにわかに活気づいてきて、自分も含め普段ツール・ド・フランスやサイクリングに全く興味のない多くの人が興奮して見守ったことであろう。
表彰台でも飄々としていた長身のブラッドリー・ウィギンスは 髪型といい大きなモミアゲでクールでモッドな雰囲気。スポーツマンというよりミュージシャンのようだった。自転車競技服からでも彼の醸す気配に、普段はモッドな服装で絶対OasisとかOcean Colour Sceneが好きだろうな、と直感したのである。スポーツマンにありがちな体育会系あか抜けなさとは対極にあるような彼に興味を持って、ネット調べてみたところサイクリング界では良く知られた 人で、過去のオリンピックでもメダルも沢山とっていて世界大会でもジュニア時代から活躍している人であった。数ある自転車競技の記事の中に、 サイクリング専門誌のインタビュー記事で音楽について語っているのを見つけた。91年11歳の時にテレビでStone Rosesを見てイイな、と思い、その後またテレビでSmithsを見てジョニー・マーのギター姿に憧れ、94年にまたまたテレビで紹介されていた新バンドOasisを見て大衝撃、翌日の学校での皆の話題はOasisで持ち切りだったと言う。同時期テレビ番組のテーマソングで Ocean Colourを知り、そのころは OasisとOCSばっかりきいていたとあった。その後、自転車競技の試合前にスタジアムでかかっていたPaul Wellerの曲からWeller, The Jam, Small Faces, Kinks, The Who…..と広がっていき、自らもギターを手にして、成長するにつれお金は全てギターと服につぎ込みヴィンテージ・ギターのコレクターだそうだ。
ウィギンスの例を見てもテレビで知った、というのが多いが、それだけ英TVとラジオでインディー系含め良質の音楽にふれる機会が多いのである。私もウィギンス同様Top of The Popsの80年代版の再放送でThe SmithsのThis Charming Manを見て、すごいイギリスではスミスがテレビに出ていたのか!とビックリしたのであった。ヒットチャートに登っていたのだから当然と言えば当然だが、他にもスージー&バンシーズやスパンデュー・バレエやポンニチ感覚からすると80年代にレコード(!)でしか知らなかったインディー系のミュージシャンが普通にテレビに出ているので感心してしまった次第。そういう訳で英国に普通に暮らしていれば、たとえ今10代、20代でも60’s, 70’s, 80’s, 90’sから最新までいい音楽を知る機会は多いのである。そういうところから音楽のセンスも研かれまた若い世代も育っていくのであろう。
話しがそれたが、ウィギンスに戻る。
そういう訳でその後スポーツ選手の中でも特にこの音楽の趣味を共にする彼に注目してオリンピックも観戦した。オリンピックではヘルメットにターゲットマークをつけてまたまた大活躍しゴールドメダル。フレッド・ペリーのブラッドリー・ウィギンスラインは売り切れ、再結成したStone Rosesのライブに行ったのがニュースになったり、彼のモッドぶりと音楽好きは衆目に知られるところとなった訳である。きっとウィギンスも開会式閉会式は好きなバンドが沢山出てエンジョイしたことであろう!
12月になると毎年BBCのスポーツ・パーソナリティー・オブ・ザ・イヤーの授賞式がある。そりゃあ今年は当然ツール・ド・フランスで初のブリティッシュ優勝のブラッドリー・ウィギンス。授賞式では細身のベルベットのスーツで若かりし頃のロッド・スチュワートの様で素敵。その後のパーティーではギターでWonderwall 。このパーティーバンドのヴォーカルがひどくて軽々しくて興ざめだが、ギターを弾くウィギンスは真剣で超クールなミュージシャンぶりでイイ。サイクリングから引退したらバンドをやりたいと先のインタビュー記事でも語っていた。彼のようなスポーツマンがいるのも英国ならではと言えよう。
クリスマス翌日のボクシングデーの夜はBBCラジオ6でポール・ウエラーと2人で2時間DJのスペシャルプログラムで、またこれが良かったんだ。が、数年前に彼がサイクル誌に語っていたのが本音だと思うが、そこではThe Jam, Oasis, Ocean Colour Scene, The Who, Small Facesを最も好きなバンドで、オーシャンのギタリスト、スティーヴ・クラドックをベスト5ギタリストにも入れていたにもかかわらず、入っていて当然のオーシャンカラーが番組での選曲に入っていない。 ウェラーは3曲も入っているのに。う〜むこれは何かウェラーの意向が 強く入ってるね。
今日は恒例のNew Year Honoursが発表された。今年活躍した多くのオリンピアン達がKnight, CBE, OBE, MBEを受ける事になったが、中でもウィギンスはナイトである。これからはSirウィギンスだ。オリンピック開会式の総演出のダニー・ボイルにも与えられる予定だったが、本人が拒否したとニュースで言っていた。結構政治的なポリシーなどで拒否する人も多い。特にアーティストやミュージシャンなど。考えてみれば、女王や国王から国に忠誠をつくす騎士団としてのナイトの称号を与えられるってわけだから古色蒼然たる 権威主義国粋主義、階級制をそこに感じて拒否するのだろう。「サー・ウィゴー」というタイトルの新聞記事では「ま〜ジョークの種ですよ」と本人は言っていた。
フットボールクリケット、テニスなどの人気スポーツの陰で今まであまり注目されなかったサイクリングであるが、ボート競技と並んで英国はかなり強い競技で沢山メダルをとっていたのであった。ローゼズのジョン・スクワイアーも熱心なサイクラーなのだとウィギンスがラジオで言っていた。ウチの近所にもサイクルショップが増えて、自転車業界はブラッドリー・ウィギンスさまさまであろう。
Radio6では50代のウェラーと30代のウィギンスが自分の好きな音楽やその周辺と当時の自分達 を語っていたが、世代や過ごして来た時代ややってきたこと は違っても、音楽という共通項で繋がれるというのは素晴しいことだ。ウェラーはロンドン郊外に暮らすフツーの少年の頃、学校とその後は工場で働くしかない世界から、ビートルズをきいて夢と希望を与えれ世界が広くなったと語っていた。ウィギンスは14歳だった頃OasisのDefinitely Maybeの曲全てが自分にいかに影響を与えたか、現状を打破して何か新しいことに挑戦して,何かを成し遂げてやるぞというような期待と勇気と自信を与えられたと語ってLive Foreverをかけた。(ウ〜泣けます、ホント、そうです、こちらは10代じゃなかったけど)Oasisが奮い立たせた少年がツール・ド・フランスで優勝し、オリンピックメダルを取り、ベスト・スポーツマン2012に選ばれてSirももらったんだからすごいよなあ。早く引退してバンド活動を開始して欲しいなどとおもったりしている。

BBC Radio6 Paul Weller & Bradley Wiggins play list
Paul Weller / Into Tomorrow
The Kinks / Wonder Boy
The Meters / Handclapping Song
Billy Davis / Stanky Get Funky
Dee Dee Warwick / Were Doing Fine
Jr. Walker & The All Stars / I’m A Road Road Runner
Noel Gallagher’s High Flying Birds / The Good Rebel
Miles Kane / Inhaler
Paul Weller / The Piper
Chuck Wood Seven Days Too Long
Paul Weller / Always There To Fool You
Syd Arthur / Ode to the Summer
Robert Wyatt / A Beautiful War
Peggy Scott & Jo Jo Benson / Soul Shake
The Rifles / Peace And Quiet
The Beach Boys / How She Boogalooed It
Little Barrie /Tip It Over
The Stone Roses / Love Spreads
David Bowie / Breaking Glass
David Bowie / Scary Monsters
Little Richard / Good Golly Miss Molly
Gladys Knight & The Pips / No One Could Love You More
Bobby "Blue" Bland / These Hands Small But Mighty
The Jam / That’s Entertainment
Oasis / Live Forever
The Who / I’m A Boy
Madman / Running Through The Fields
July/ Dandelion Seeds

ロンドンオリンピック閉会式 其の二

ロンドンオリンピック閉会式 其の二

(前回から続き)
開会式ではQueenのライブでWe Will Rock Youがあったらぴったりだなあと思っていたが、閉会式ではちゃんと登場しました。ボヘミアン・ラプソディーの曲とともに映像でフレディー・マーキュリーの想い出が流れ、ブライアン・メイロジャー・テイラーのブライトン・ロックでブライアンの大ギター技が延々と披露された。その後再びジェッシーJが登場してフレディーの代わりに歌ってWe Will Rock Youで会場総立ちになった。
ブライアン・メイは昔のロックスター風の派手な出で立ちであったが、コートの両腕のQマークの中に左はアナグマ(英国狸)、右には狐の顔がデザインされていたのをお気づきだっただろうか。天文学者でも有名なブライアンは大変な動物愛護家でもあり、野生動物保護のチャリティー団体と提携して、広大な自宅の庭(というか殆ど森)を保護された動物のサンクチュアリーにしていて、怪我したりして保護された狐や狸やハリネズミや鹿やイギリスの自然動物達が沢山助けられて住んでいる動物達の聖域なのである。以前も悪い人間につかまってサッカーボールのように蹴られたりして瀕死のハリネズミが保護されて、獣医師の手当を受けた後彼のところに引き取られてリハビリ中、というニュースを読みました。(ちなみに、その悪者はちゃんと罰せられて数週間牢屋にいれられた。)
今回の閉会式への登場でもちゃんとその英国野生動物保護活動のアピールがされていたということです。ロックスターの富みと名声を得てもそれに奢らず、地道に地元でこういう活動をしているブライアン・メイを尊敬します。きっととってもいい人なんだろうなあ。
http://www.harperaspreywildliferescue.co.uk/
Queenの武道館での来日ライブに1975年頃行った。当時は今のようにインターネットなんてないし、チケット情報誌すらなく、まだ子供でチケットの入手法法すらわからず母の友人の音楽評論家のおば様にチケットを頼んで行った、自分史上初めてのロックコンサートだったと思う。

トリビュートという意味ではDavid Bowieもトリビュートされた一人である。まだ生きてるけど、ブリットミュージック史上偉大なアーティスト、という意味で。ボウイの写真とヒット曲の数々が次々と流れ、一瞬ボウイ登場かと期待したが、"Fashion"とともに登場したのは、ケイト・モスナオミ・キャンベルなど英国を代表するファッションモデル達。ロールスロイスで現れたり、アナウンスで英国ファッションデザイナーの名を次々連呼したり、英国ファッションを世界に(特に新興国成金に)売ろうキャンペーン。英ファッションブランドでももうほとんど全てがMade In UK/Englandではなく、チャイナである。ヨーロッパのブランドショップやアウトレットに大挙しているのも中国人だし(80年代は日本人だった)、アレキサンダー・マックイーンも死んじゃったし、特に今英国ファッションがすごくクールなわけでもないんだが、というかファッション全体がもう何もない状態になってると思う。同時に新興国にとっては最近手にした自由と金を謳歌しようというときであり、オリンピック後の英国への経済効果を狙って商業主義見え見えである。

一方でロンドンオリンピックでは一般人のヴォランティアが大活躍し、選手団はじめ、世界各国から集まった観客達に笑顔で親切に道案内など対応して大変評価が高かった。閉会式では特にこのヴォアランティアに皆で感謝を捧げるタイムも儲けられた。北京の国家的威信と費用と権力と、それによって統合された人員動員で壮大に繰り広げた前回オリンピックと対比して、低予算、サステイナブル、民主主義、人権、人道主義、自由、笑い、みんなで楽しもう、、、開会式、閉会式もそうだし、オリンピック全体がそういう雰囲気だった。全てが北京とコントラストとなっているようにみえる。みんなによるみんなのオリンピックとなったし、ユニークで最高にクールなオリンピックだったろう。これぞ英国の真骨頂というところだ。
閉会式では約4100人のパフォーマーのうち、プロは250人で、大人のヴォランティア3500人、地元学校の子供達380人だそうだ。またロックスターやセレブリティーパフォーマー達のギャラは1ポンドだそうです。

The Whoも満を持して最後の最後に登場した。
前半でカイザー・チーフスでWhoのカヴァーをやったので、ああ、本物は出ないのかとちょっとガッカリしていたが、トリのトリでまさかThe Whoで閉めるとは思わなかったです。最高。
ロジャー・ダルトリーもチャリティー活動をすごくやってる人で、毎年ティーンエイジキャンサーチャリティーのライブをやっています。彼のコンタクトだから出るバンドもいいんですよ、これが。
サー・ポールはじめ往年の大スターでも寄る年波で大きなライブだと結構キツい方々も多い中、The Whoは全然そんな感じせずパワフルです。もうホントに最後のMy Generationはこのオリンピックを閉めるのにも、この世界各国参加の大ロンドンパーティーナイトをしめるのにこれ以上の曲はない!
観客席もアリーナの世界各国の選手団も(たとえこれらのロックバンドを知らなくても)この3時間にわたる大パーティーを大いに楽しんだことでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=rsGQ8C64WlQ   (10:58からMy Generation)
開幕、閉幕ともに音楽のことのみに書いたが、開幕式は映像とパフォーミングアートとしても素晴らしかったし、オリンピックについても書きたいところだ。また改めて。
今週末はV-Fesでストーン・ローゼズだあ〜!

ロンドンオリンピック閉会式

ロンドンオリンピック閉会式
昨夜はオリンピック閉幕式をBBCで見た。開幕式がとてもよかったので、閉幕式は期待していなかった。監督がTake Thatのツアー演出などを手がけている人でインタビューに答えて「最高のアフターショウパーティーで楽しんでもらいます」とか言っていたし、一夜だけのスパイスガールズの再結成が噂されたりしていて、多分ロック系よりもエンターテイメントポップ系だろうと思っていたからである。
結果、ポップもロックもバラバラでごちゃ混ぜですごくいいとこと退屈ななんだよこれ〜とが入り混ざりアップアンドダウンが激しく散漫で大規模なウエディングパーティーのディスコタイムといったとこだけども、最後はThe WhoのMy Generationでちゃんと閉めましたと言う感じか。
個人的にはLiamのBeady EyeがWonderwallで出るとは思ってなかったので超感激。

アリーナのフロア全体がユニオンジャックにデザインされ、それもダミアン・ハーストのスピニングアートで赤、白、青が微妙ににじみ合っている。セットのロンドンのミニチュアがその上にのっかり、ユニオンジャックのクロスの部分がキャットウオーク状のステージ部分になっている。上空から見るとその照明効果も相まって,大変綺麗である。

英国式ストリートパーティーの中、マッドネスのバス舞台や、三角帽をかぶったペットショップポーイズの車がトラックを周り、ロンドンの街を舞台にStompのパフォーマーが清掃員風に働いたり、ロンドンのハッスルバッスルが描写されているようだ。KinksのR.デヴィースがWaterloo Sunsetを歌ったが、開幕式のポールマッカー同様に年で声量が足りなくてちょっと大変そう。
音楽的にイマイチ盛り上がんないよな〜というときに、Elbowのライブで救われました。Elbowはアコギのいい曲も沢山あるし、オーケストラ編成をバッキングにした壮大な曲が結構あり、過去数年も大きなフェスの大会場で感動的に盛り上がるライブをやっている。マンチェスター出身の好きなバンドのひとつだ。今回ロンドンシンフォニーオーケストラと共にやったOpen ArmsとOne Day Like Thisはこういう場にまさにぴったり。
そうこうすると、The WhoのPinball Wizardと共にModの一団がスクーターで押し寄せ、そのうちの一人がKaiser Chiefsのヴォーカル。彼はジージャンにジーパンでモッドしてなかったが、走るバイクの背で歌い、そこから歌いながらステージに登ってバンドにジョインして歌い続けていた。結構むつかしだろうな。その後もう一曲やってくれればよかったのに、一曲のみ。

ピアノのイントロが静かに流れ、一瞬、もしかしてノエルがDon't Look Back In Anger!!!???と思ったら、ジョンレノンのImagineでした。ま、こっちが元だからね。それがまた、子供達のクワイアで、前列の子供達は手話と唄でなんとも感動的でジーンときてるところへ、スクリーンにイマジンを歌うジョンの顔のアップでもっとジ〜ン。アナウンサーによると、この日のためにヨーコ・オノによって特別にリマスターされたイマジンだそうだ。国同士がゴールドメダル獲得の為競い合うオリンピック、また、この祭典で盛り上がっている今も宗教や国益のために戦火の耐えない国もあるわけだ、そこにこのジョンの平和へのメッセージ、”国家もなく、宗教もなく死んだり殺したりもなく、皆が平和に暮らしているのをイマジンしよう、、、、”泣けるよ。地上の舞台上には白い箱状のものが沢山の人によって運ばれて、それがパズルのように組合わさると、巨大なジョンレノンの顔になるのでした。英国が生んだ偉大なアーティスト、ジョン・レノン死して30年以上ですが、こうしてオリンピックセレモニーに参加して、やっぱり偉大な人物や作品は時代を超えて生きているんだなあ。故郷リヴァプールのコーラスグループとともに、ジョンへのトリビュートでした。

その後は、ジョージ・マイケルが登場して突然イタリアかドイツのダサイ歌謡番組になってしまったかのように2曲もやって、ユーリズミックスのアニーレノックスがパイレーツオブカリビアンのような大げさな装置に衣装と大勢のエキストラと共に超退屈な曲を延々やったり、ジェッシー・Jと知らない黒人男2人がロールスロイスで登場してヒップホップR&B的曲をやったりして、またアップアンドダウンのダウンモードだったが、あれっ!背後のライブセットのドラムに"Beady Eye"とあるじゃないですか!やった〜!
が、リアムまでの道のりは長い。その前に老けたFat Boy Slimがアロハ着て巨大透明タコ(タコですよ蛸)の真ん中でDJっちゃって、90年代はかっこ良かったんだがもう老け過ぎでアロハでノリノリでイエ〜ってDJされてもなあ、まだ、UnderworldChemical BrothersとかBasement Jaxのほうがよかったんじゃないのか。そして、キラキラのロンドンタクシー(よく携帯なんかにスワロフスキーでキラキラにしてるでしょう、あんな感じのタクシー)5台が走り回って、ユニオンジャック舞台の真ん中に集まると、中からかねて噂されていた一夜限りの再結成したSpice Girlsが登場。前夜BBCのオリンピック番組に出演していたベッカムも「明日の閉会式は楽しみですね、私の妻も出演する”かも”しれませんしね〜」と言っていた。
90年代のUKミュージックシーンはそれはそれは百花繚乱だったが、ロックではなくポップのほうではこのSpice GirlsとボーイバンドのTake Thatがベスト2でしょう。当時の大ヒット曲を2曲披露すると、観客席のキャメロン首相もロンドン市長も並んでダンシングダンシング。Take That も今回出演した、当然。解散せずいまだやってる、英国版Smapというところかだが、リーダー格で曲作りをするG・バーロウは音楽の才能のある人で、6月のクイーンのジュビリーの際もテーマソングを作曲したり大活躍である。
そしてようやくBeady EyeでWonderwall。まあ、リアムのベストパフォーマンスとは言えなかったけども、大アリーナライブでリアムのワンダーウオールがまた聴けるとは思ってなかったので、昔行ったオアシス時代のライブを走馬灯のように思い出しながら感涙に咽ばなかったが、画面に釘付けになりました。ノエルのライブではこのあいだワンダーウオールやったけど、やっぱリアム、ゲム、アンディーがそろってるから今回の方が良かった。
http://www.youtube.com/watch?v=HXEJD4XJePY
なんだかずっと90年代大回顧状態。これ、45以上大喜び、若者が見たら、なんか親の世代の音楽〜って感じ、ですね。
(続く)

こっちの方が画像いいです http://www.youtube.com/watch?v=IgPRI6-8Efw

史上最高のロンドン・オリンピック開幕式 UKミュージック&カルチャーの祭典

ロンドンオリンピックが開幕した。
開催一週間前のロンドンに行った時はいつもより観光客も多いようなかんじで、ロンドン中にオリンピックのサインがあふれて、ロンドンオリンピック近し!の感あり。
オリンピックメイン会場近くに住む友人は、娘が開会式に参加するので今日もリハに行ってるとか、自分の勤め先の劇場が日本チームのマルチサポートハウスになったので、インテリアからキッチンまでジャパニーズ仕様で日本食コーナーもできたし、そのための設備投資もいろいろしてくれて(トイレもウォッシュレットに)で予算カットの劇場としてもありがたいし、期間中はシンプルモダンで洗練されたジャパニーズデザインの素敵な職場になって、彼女の”クールでエキサイティング〜”な毎日のエピソードきいて、なんだかロンドナーにはオリンピックも身近なんだなあ、と感心したのだった。と、同時に日本国のオリンピックにかける予算と熱意にも改めて驚くのだった。

一方、シュロップシャーあたりではスーパーでチームGBグッヅを売ってる程度で、町全体がオリンピックムードでは全然ない。最近リバプールマンチェスターに行って同様に感じた。ワールドカップやEUROチャンピオンシップのときは町も店も家や車もイングランドの旗であふれ、子供も大人も代表チームのユニフォームを着た人がわんさか繰り出して、すんごく盛り上がるのである。
まあそれもスコットランドウエールズアイルランドの人達からみたら「イングランドだけ盛り上がってこっちは関係ない」と思ってるかもしれないが。
やっぱりフットボールが国民的スポーツだとすれば、オリンピックの興味はそんなでもないんだろうし、盛り上げてるのはメディだけ、盛り上がってるのはロンドンとその周辺と一部のスポーツ好きだけ。おまけに、開催直前にセキュリティー会社の不備が明るみに出て軍隊や警官が駆り出されていい迷惑とか、空港のイミグレーションコントロールでストをするとか、北朝鮮の試合に韓国の国旗で紹介しちゃうとか、ドジ続きでさい先良くなかった。
わたしもロンドン周辺の混雑とカオスを考えると、期間中は何があっても絶対ロンドン周辺には足を踏み入れないようにと心しているのである。
日本の友人が日本サッカーチームの全試合を応援に来るのでチケットを頼まれたりして、コベントリーの試合なら近いから一緒に行ってもいいっかと、一試合だけ物見遊山で行ってみる予定である。その後はポーランドのロックフェスに行ってオリンピックのイングランドから脱出。
と言う訳で、スポーツに興味もなく、オリンピックに盛り上がってもいなかったのだが、ダニー・ボイル演出というのと、風船No4のセクションだからよく見ておいてね!と言われた友人の子供が出るので開会式は見たのである。そして、その英国文化の祭典のような開会式にはびっくりたまげて史上最高の開会式だと興奮と感動でした。
さすが、テレビ番組製作から映画監督になったダニー・ボイルですから、英国とその歴史と文化、あるいは国民性をTV、映画、音楽など大衆文化をメディアにして、知的でユーモラスでクールで高尚でポップで混沌として美しく描き出し、これぞブリティッシュネス、という一大絵巻。アッブソリュートリーファビュラス!
特に音楽面では、あのトレインスポッティングの監督、おまけにアンダーワールドの2人もセレモニーの選曲でコラボしてるそうだから、も〜これが我々世代としては嬉しい曲の連続UKミュージックのオンパレード。
オープニングの映像でも、田舎の河辺に遊ぶ子らのショットから、カメラが進むと「楽しい川辺」(ケネス・グレアム作)のモグラさん達の小舟がチラッと写り、ロンドンに近づくと、クラッシュのロンドンコーリング、バタシー上空にはピンクフロイドのピンクの豚の風船がうかび、ピストルズのゴッドセイヴザクイーンに、テームズ上空からの全体ショットでイーストエンダーズのイントロ(BBCの長寿連ドラでおなじみのショットと音)で、会場のライブ映像に切り替わり、あたかも視聴者のわたくしは家の裏のセヴァーン川辺から、オリンピック会場へ一緒に運ばれて行くような臨場感であります。そのように英国津々浦々の皆様が感じた事でありましょう。

大きく分けて3部構成のセレモニーでは、1部ではTest Deptを彷彿とするインダストリアルなドラミング、2部はマイク・オールドフィールドのライブでエクソシストのテーマ曲になったTubular Bells。3部はArctic Monkeysのライブで始まった。
意外!古くさいエルトンとか、フツーにポップなバンドでなく、インディーにArctic MonkeysがI Bet You Look Good On The Dancefloorをがなりたてちゃって、つづいてビートルズのカヴァーでCome Together、スゴく良かった〜 
ライブの後は、O.M.D.のエノラゲイでウッヒョ〜と昔のダンスフロアの青春を彷彿としてると、その後はThe Jam, Stones, Beatles, Zeppelin, Specials, Bowie, Clapton, Queen, New Order, Pistols, Eurythmics, Frankie Goes to Hollywood, Muse……ロックでダンスダンスダンス。トレインスポッティングで使われたUnderworldのBorn Slippyも当然、プロディジーのファイアースターターまで映像付きでかかったからな。
蛍光カラーの衣装とメイクで踊り回る若者達。今回の開会式の出演者1万人だそうで、メインは皆ボランティアの普通の人。ああ、私も入りたかったあのなかに。
それにしても、今回の選曲にはいってしかるべきで入ってなかったのが、The Smiths, Stone Roses, Verve, Oasis, Kasabianだ。BlurHappy Mondaysは入ってたのに。(ちょっと不満)
でもって、3部の最後はライブでDizzee RascalのBonkersで大騒ぎ。
Bonkersとはmad、という意味でスラングだけども、言葉としては古い英語だそう。
ジャンルでいうとgrime musicだけど、ヘヴィーなんだがどこか狸囃子的なとぼけた音感もあり、まさにbonkersな感じで、どっかずっこけで楽しく踊れてクールなホントに馬鹿な曲です。

選手入場も全てすみ、開会式の最後の最後のライブは当然というべきかサー・ポール・マッカートニーだ。
ちょっとお年で、声がイマイチ迫力にかけた。
その前までの音の流れを考えると、フレディーが生きてたらQueenWe Will Rock YouWe are the Champions、あるいはなんとかD.ボウイを駆り出してHerosあたりでばっちり決まるのになあ。
いかにもだけど、U2ってのも、あ、彼らはダブリンでGBじゃなかったか。
あるいは今年スペシャル再結成したStone RosesでFool's GoldとI wanna be adoredもこの機会にばっちりな曲で、イアンブラウンとベズのダンスとか、、、、超いいけど、それはもうあまりに分けわからな過ぎでダメだな。Stone Rosesは今月V-Fesに行ってきますから、そのときで。
Hey Judeをみんなで合唱、ナ〜ナ〜ナ〜ナナナ〜ナ〜♪でこの一大イベントは幕。世界のみんなが合唱できるのはやっぱりビートルズをおいてないでしょうね。
やっぱりビートルズは偉大だ。

音楽だけでなく、全てが素晴らしかった。機会があったら続きを書こう。
それにしても、世界中が見ている国家的イベントでBonkers(キチガイ、ど阿呆)ってな曲をライブでデカデカとフィーチャーしちゃうグレートブリテン、君主エリザベス2世がジェームス・ボンドと共演してパラシュート降下するグレートブリテンを愛す、心から愛す!
UKミュージック万歳!女王陛下万歳!英国万歳!
と、まんまとロンドンオリンピックのお祭り気分にまんまとのせられてしまったわけである。

Roast Duck

Welsh Traditional Recipes-ウエールズの伝統料理」という本を参考にしながら、焼りんごとセージのスタッフィングの鴨の丸焼きを作ってみました。Roast duck with apples,ウエールズ語でHwyaden wedi rhostio gydag。

シュロップシャーウエールズとのボーダーにあり、シュルーズベリーは元々ウエールズとの羊毛交易の盛んだったマーケットタウンでした。シュルーズベリー修道院を舞台にした「修道士カドフェル」の主人公カドフェル(TVではデレク・ジャコビが好演)もウエールズ人で、小説ではウエールズ人とイングランド人の気質の違いなどが微妙に描かれています。車でちょっとドライブするとウエールズに入りますが、その途端に交通標識も英語とウエールズ語の2カ国語になります。”イギリス”というと英国なのかイングランドなのか曖昧ですが、英国はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Island(UK)が正式名称でGreat Britainはブリテン島のEngland,Wales,Scotlandの3国です。日本で雑誌の「イギリス特集」の地図でEnglandとWalesを一緒にして「England」と表記していたのがあってびっくりしました。Welshが見たらどんなに怒るか。WelshやIrishはケルトの血を引いているので詩歌に長けており、今なお妖精や異教の民話が生きているようなロマンを感じさせるので好きです。平坦なイングランドに比べ、山や谷が多くどこか日本の風景にも似たところがある。また全く海苔と同じのラーヴァーブレッドlaverbreadという食べ物もあるのです。
それでは鴨を切り分けて、一緒に焼いたりんごとスタッフィング、パースニップにレッドカラントジェリーを添えまして、、、

シュルーズベリー冬景色

英国全土が大寒波におおわれている。1月2月に寒いのは普通だが、11月末から零下になるのはちょっと例外的寒さ。日本は年々夏が暑くなり、英国は年々冬の寒さが厳しくなっているようなこの数年である。
シュルーズベリーも日中でも零下という日も少なくなく、本日は最高気温零度だそうだ。真っ青な空に霜で真っ白な木々がよく映え凛とした冬の日々。
家の窓より見える大きな木は霜で真っ白

Quarry park

橋よりSt. Chad教会を眺める

蜘蛛の巣も凍る

夕暮れ時

家からこの公園を超えると町の中心地になる。夜ともなれば、煉瓦のジョージアン・タウンハウスが連なる曲がりくねった小道に橙色の街灯が夜霧に翳み、正にディケンスの小説か、シャーロック・ホームズの一場面に迷いこんだが如くである。実際シュルーズベリーはディケンスの映画のロケにも使われた。緑と花に溢れた春夏も素敵だが、この冬の情緒もイギリスの古い町の魅力なのだ。