Hamburg Now and Then

(写真/ハンブルグ中央駅)
Oasisギグのためハンブルグに行って来た。昨秋は東京に居てUKツアーを逃したためわざわざドイツまで海を渡った訳だが、飛行機で約1時間40分、電車でロンドンに行くのと大して変わらない。空港での待ち時間や飛行機の遅れなど考えるとその倍はかかる訳だが。また、ハンブルグにはしばらく住んでいたこともあり懐かしいので、コンサートとショートホリデーを兼ねて再訪した。
空港からハウプト・バンホフ(中央駅)行きのバスで約20分、懐かしい道のりである。当時の私はカラスの海外活動のマネージメントのためハンブルグをベースにしていた。カラスをはじめて以来ヨーロッパでの仕事が多く、長く日本と欧州の行き来を繰り返していたが、ハンブルグをベースにするようになり日本と欧州の時差が無い分、仕事もスムースで規則正しい生活ができるようになったのは何よりであった。日本にて欧州と仕事のやりとりをするということは、8時間の時差(冬)があるから昼夜がなくなってしまう。日本の夕方に向こうは仕事が始まるので、夕方から夜中がヨーロッパ人とのやりとりの時間帯になるからだ。現地時間で制作の仕事をし、舞台のためにヨーロッパ各国を飛び回るには大変便利であった。
またハンブルグが私にとって特別なのは、初めて一人暮らしをしたところなのである。東京で生まれ育って、引っ越しも経験したことがなく、祖父母の代からの古い実家でずーっと生活してきた。ツアーや創作で長く家を離れ、異国に滞在することはあっても、カンパニーの仲間がいつも一緒であるし、家に帰れば家族や誰か、家にはいつも身内以外にも誰かが居候生活していた、いつも人に囲まれていて、「一人の生活」というのは全く経験したことがなかった。
私の仕事上のメントーであり、長らくフランクフルトのTheater Am Turm/TAT(敢て訳せば「塔の傍劇場」)のダイレクターのであったであるトム・シュトロンベルグが、ハンブルグのシャウシュピールハウス(市民劇場)に移る際、自分のオフィスのワンフロア下が空室になっているからと紹介してくれたのがきっかけだった。1903年に建ったアールヌーボー様式の装飾の、各階にワンフラットのこじんまりした建物だが、天井が高く広々とした4LDK(120平米)のいいフラットだった。ちょうどバイエルン国立歌劇場バレエ団への作品創作の仕事が終わったところで、勅使川原はじめカンパニーは日本に帰った後、一人ミュンヘンからハンブルグに夜行列車で行き、生活必需品を一から揃えて至った訳だが、引っ越しもしたこと無い、一人暮らしもしたことないわ、おまけにドイツ語できないわで、家具や電化製品を買いそろえることからして大仕事なのだった。家具は主にIKEAHabitat、電気製品はSaturnというヨドバシとかLAOXのようなチェーンの大型電化製品デパートに行って買いそろえたが、店は大きいし商品も多いし混んでるしで大変だったが、トムの秘書の親切なクリスチアーナがつきあってくれてなんとかなった。今だに欧州のどこかでSaturnを見るだけで当時が思い出されて疲れる。イングランドにはないのでありがたいが。
劇場、アート関係など仕事でつき合うような人や若い人は英語を当然のように話すが、配達や取り付けの大工仕事にくるおじさんとかは全然英語は話さない。「ハロー」(は、ドイツ語でもハローで、発音が英語よりはっきりハローと言う)と玄関で挨拶した後は、置いて欲しい場所を指差し「ヒア」(此処)、「ビッテ」(please)。たまには「ヤパーニッシュ?(日本人?)」と聞かれて、「ヤー、アウス トキオ (ハイ、東京から)」。その他、「アルバイト(仕事)」「テアター(劇場)」「ゼア グート(very good)」などの知ってる単語を駆使して多少のコミュニケーションをしながら、「カフェー オーダー テー?(珈琲か茶?)」と手間のかかる作業のときにはお茶も出したりして和やかにつつがなく事は進む。続いて何かドイツ語でベラベラ言われたら「イッヒ シュプレッヘン ニヒト ドイチェ、シューリゴン」(私独逸語話サナイ、スミマセン)と言って三平師匠の「どーもスイマセン」って感じでニコっとする。伝票に受け取りのサインをして、ダンケシェーンでビーターゼーン。
家具は組み立て式がほとんどで、ソファーからデスクから一人で組み立てた。日本と違って、組み立て式の家具でも大きくて、がっちりしっかり出来ていて重くて大変だった。今から考えるとよく出来たなと思うのだが、その時はなんでも初めてで素敵で楽しかった。天井が高くて、その天井と漆喰の真っ白な壁との境に美しい装飾のなされた部屋に自分の趣味で選んで新しい家具を買い揃えていく、ということ自体が初めての経験であり楽しかった。また、大音量で好きな音楽をガンガンかけられるというのも良かったな。誰にも気兼ねなく、誰にも邪魔されず、自分の自由にできる「一人の時間」というのを初めて経験したのだった。
(続く)
KARAS公演もしたドイチェ・シャウシュピールハウス