秋のゴボウ収穫

もう2ヶ月も前のことだが、庭のヴェジパッチのゴボウが大豊作だった。初めて見る土に埋まってるゴボウの葉っぱはとても大きいのだった。葉っぱの上で朝露の玉がクルクル滑ったりしてきれい。下でハリネズミや兎が雨宿りとか、狸や狐が傘にしたりしてる絵なんかが浮かんだりして幻想的でもある。
で、ゴボウ堀りに取りかかったはいいが、とってもとっても大変だった。後になって知ったのは、種を植える前に土を深くまで耕して柔らかくしておかなくてはいけなく、底に板を入れておくと長く育ちすぎなくて掘りやすいそうだが、表面をちょっとほじって種をバラバラ撒いただけだったので、一筋縄では行かないのだった。試行錯誤の結果、大きなスペードで固い土をゴボウを傷つけないように周りから掘って、その後小さいシャベルでゴボウ周辺を掘って行く作業を根気良くしかないという結果になり、自分的にはすごい労働力を費やしてゴボウを収穫したのである。次から次へと抜いて行くこと「牛蒡抜き」という。簡単にスパスパ抜いて行く感じだが、全く正反対に一本抜くのに30分はかかった。(ような気がする)
大変な努力で収穫したゴボウは太めでゴツゴツしていてゴボウのイメージを覆すものだった。

戦時中にアメリカ人捕虜の食事にゴボウを出したら、後の戦争裁判で”木の根を食べさせられた”=虐待されたと訴えられてしまったと言う。確かに知らなければ木の根だよなあ。イタリア人の友人が日本に来たとき、テレビで料理番組を見ていたところ、木を削って料理に使っていたが、アレは一体何の木なのだ?、と聞かれたことがある。えー木なんて食べないよ、と答えても、いや鉋(カンナ)で削っていたから絶対木だ、と言われて、ああ鰹節のことか、と大笑いしたことがあった。そんなの当然じゃんというゴボウも鰹節も全然知らない人から見たら木の根っこに乾かした古い木の棒に見えるし、そういう気持ちで見ると確かにそうだ。
ゴボウ=burdockは英国にも自生していて、ハーブティーや清涼飲料に入っていることはあっても、野菜として食べたりしないのでそれ自体は売ってない。大体日本の食品はなんでも手に入る昨今だが、手に入らないけど時々食べたいものもあって、ゴボウもそのうちのひとつだ。キンピラ用に細く切った冷凍もあるが、やっぱり新鮮がゴボウが食べたい。日本にずっといるときは特にゴボウが好物でもなく、ゴボウのことを意識することもないにも関わらず、無いとなると、ここまで努力しても食べたくなるのだなあ。家庭菜園でいいことは、育てて食べる喜びと共に、普段何気なく簡単に安く店で購入している食べ物のバックグラウンドには生産者の方々の日々の労力と自然の力あってこそであると感謝の念が芽生え、食品を大切にする気持ちが増すことでもある。
そして数年前の「今日の料理」に載っていて、どうしても作って食べてみたかったゴボウと牛肉ひき肉のレシピを遂に実現できました。嗚呼ここまで長い道のりだった。
ちょい固めだったけど、ちゃんとゴボウの味がして美味しかったです!