THE BEATLES UNSEEN & UNHEARD

The Beatles全アルバムデジタルリマスター版の発売にかけて、先週はThe TimesBBCビートルズ特集続きであった。写真はビートルズの未発表写真やジョン・レノンの埋もれていたインタビューテープの内容などThe Beatles Unseen And Unheardと題されたThe Sunday Times magazineと先週毎日The Timesについてきたビートルズ関連付録の一つGuide to the Beatlesという小冊子。シングル&アルバムのデータやプレス記事、レコーディング秘話など。まだ流し見程度で全然読んでいないけれど、Let It Beのセッション時メンバー間がぎくしゃくしジョージ・ハリスンが出て行ってしまった時、ジョン・レノンは、もし月曜か火曜にジョージが戻ってこなかったらエリック・クラプトンにやってもらうからいい、と言っていたとか、ジョンは曲作りのときにいつもTVをつけたままで、あるときケロッグコーンフレークのCMがうるさく勘にさわりそれがGood Morning Good Morningをインスパイアしたとか、そういう小さなエピソードがアルバムごとにのっている。
ビートルズは、子供のときにアメリカの子供番組“セサミ・ストリート”でYellow Submarineをテレビからカセットテープレコーダーに録音して聴いていたのが最初かもしれない。当時はカセットテープレコーダーをテレビやステレオのスピーカーの前に置いて、録音していたのだった。それでもその(今考えるとかなりな重さの)テープレコーダーを持ち歩いてどの部屋でも音楽が聴ける、というのは画期的なことだったのだ!カーペンターズのTicket to Rideも同じ頃だったか。その後中学になると友人とレコードを貸し借りし合ってよく聞いたものだ。本格的に洋楽を聴くようになるとっかかりはやはりビートルズだった。ビートルズが活動していたのは60年代だけども、自分のビートルズの記憶はそんな70年代を中心にとっても日本な気分。今でも吉祥寺にはいつ行ってもビートルズしか流れてない本屋とラーメン屋があるし、茶店でかかってることも多い。ツレはThe Beatlesの曲聴くとKichijojiを思い出すというし、日本程ビートルズがよくかかっている国もないんじゃないかと思う。イングランドで普段ビートルズが店やラジオで流れてくることはない。先週は別で、テレビで白黒の昔の映像を沢山やっていた。ビートルマニアに追いかけられ、囲まれ、熱狂のコンサート、逃げる様に車に乗り込み、あとは町にも繰り出せずにホテルで缶詰、そしてまた移動という普段の生活を、当時のテレビ番組やインタビューとともに編集した“始まりから解散まで”的番組を見たが、最初の頃(ヒゲになる前)は普段もA Hard Days Nightまんまで、ユーモラスで楽し気で明るい気のいい普通の若者たちで、カメラに向かっておどけたり、ジャーナリストを冗談でケムに巻いたり、フツーで楽しそうである。周りの熱狂や世界的大成功とのギャップが面白い。本人達はあっという間に大人気になってしまって、有名人とつき合ったりセレブ社会に馴染んでその気になったりする間もなかったので、純朴なリバプールから出て来たばっかりの普通の青年のまま、修学旅行みたいにツアーを楽しんでいたそうだ。そんな生活が数年経って、熱狂はエスカレートするは、ツアーは忙しすぎるは、となって来た頃、日本公演でのあまりの日本の警備の凄さと、その後のシンガポールで苦い経験から、コンサートを行わない方針になって行ったのだそうだ。当時の映像で日本でのビートルズ公演反対派の神聖な武道館をロックミュージックなどに使うべきではないという大きなデモと武道館の周りを2層3層に取り囲む無表情な警察官達など、それはものものしいものであった。また、シンガポールはマルコス大統領とイメルダ夫人からのパーティーの招待を断ったせいで(そりゃ行きたくないだろう)、国を挙げてのアンチ運動が展開され、日本からシンガポール空港に着いた途端、空港係官からひどい扱いを受けて散々だったそうで、記者会見ではポールが冗談まじりに話していたものの、実際にはこの日本、シンガポールから明るく楽し気な雰囲気は無くなって行き、危機感が強くなっていってスタジオ活動のみに向かって行くのだった。そしてお揃いのユニフォームでニコニコとI wanna hold your haaand….とテレビ番組で演っていたのが、段々髪の毛も長くなり、ヒゲが生えて来て音楽的にはどんどん深みをましていくのだった。(続く、かもしれない)