「松村直登さんのこと」那須圭子/文・写真

「松村直登さんのこと」ー20キロ圏内で見捨てられた動物達にエサをやり続ける

同窓生の那須圭子さんは90年代から原発運動を撮りはじめ、写真集『中電さん、さようなら〜山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』で「第12回日本自費出版文化賞・特別賞」を受賞される等、フォトジャーナリストとして活躍しています。彼女がFacebookにのせた文章と写真に心打たれ、ここに掲載させていただくことにしました。
那須さんありがとう。今後もご活躍お祈りしています。

「松村直登さんのこと」文・写真  那須圭子(フォトジャーナリスト)

少し遅くなってしまったけれど、大切なご報告をひとつ。

5月の終わり、311の福島第一原発の事故以来ずっとお会いしたいと思っていた方を、やっと訪ねることができた。1人暮らしの母を引き取ることが決まり、福島を訪ねる機会がぐっと減ってしまうだろうと思ったことが、私の背中を押した。

警戒区域である福島県双葉郡富岡町に1人で留まり、みんなが置き去りにした犬猫や牛などの動物たちに3年間エサをやり続けている、松村直登さん。私よりひとつ年上の54歳。まだまだ国内の大手メディアの報道は少ないが、海外では既に有名な人だ。

人口約1万6千人の町が事故直後から全町避難となって、無人の町となった。
松村さんもいったんは両親を連れていわき市の親戚の家に身を寄せようとしたが、「放射能背負ってっから、入んないでくれ」と断られ、避難所もいっぱいで、犬猫や家畜も置いていく気にはなれず、家に戻るしかなかった。福島第一原発から、わずか12キロほどしか離れていない。
両親はその後避難させたが、松村さんは1人残ることに決めた。
昨春までは電気もガスも水道も止まっていたので、カセットコンロと缶詰と湧き水でしのいだと言う。

「最初はすごかったぞ。電気もねぇし、音もねぇし。
夜になるとなんの音もねぇわけよ。建物あっても、人もいねぇし、車も走ってねぇ。
ものすごく不安だったな、その静かさに。もう寂しいなんてもん、通り越してたな」……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

隣りの家に置き去りにされた犬にエサをやったら、その隣の家の犬も吠えだして、その犬にエサをやったら、そのまた隣りの家の犬も吠えだして…そうして町中の動物たちにエサをやるようになったと言う。

町で出会ったダチョウは、持っていた犬猫用のエサをやったら、10キロ以上松村さんの車を追いかけて、とうとう家までついてきて居ついてしまったそうだ。

松村さんは、酪農家でも畜産家でもない。初めは、牛の面倒までみるつもりはなかった。
町中の牛舎で数千頭の牛たちが餓死し、牛舎の扉が開かれたあと外に出ることができた牛たちは、なんとか生き延びていた。
ところがある日、偶然出くわしてしまった。殺処分しようとする現場に。

「おめえら、なにしてんだ !?」 って言ったら、「今から殺処分です」って。
で、おれ、「ふざけんな、おめぇら、このやろう!こいつら何も悪くないんだぞ。
おれ面倒見っから、やめろ!」って。
そんなんが無ければ、おれも牛なんて見てなかった…と松村さん。
そして数10頭の牛を連れてきて、今も面倒を見ている。

「なんで殺さなきゃいけねぇ?こいつらの仲間なんか悲惨な思いで死んでったんだぞ。やっとこいつら元気になったら、またもう目ざわりだって、殺しちまえって?」
……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

その時の松村さんの思いと行動は、長く生き物と関わってきた私にも理解できた。牛ではないが、これまで30数匹の捨て猫と1匹の捨て犬の面倒を見てきた者として。しかし規模がちがう。エサや水の量もけたちがいだ。しかも高線量地帯に留まらなくては、世話はできない…。

自身の健康が気がかりではないのか…?

「最初はそういうの、心配したの。5年か10年たつと、ガンか白血病になるのかなって。医者に診てもらったら、なんかが発症するのは30年か40年先だべって。おれはその頃死んでっから、かまわねぇって(笑)」……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

動物たちは生きようとする、当たり前のことだ。彼らは何も悪くない。
それをなんの権利があって、人間が断とうとするのか。
人間がほかの生き物の命をコントロールしようとする、それが私も大嫌いだ。

ただ、松村さんの選んだ暮らしは、明日やあさって終わるわけではない。動物たちは、これから何年も、ずっとずっとお腹を減らし続けるのだ。
エサがいつまであるか、気が気でないだろう。自分が健康を損ねてしまったら、動物たちの世話もままならない。見えない放射能が、いつも自分と動物たちを取り巻いている…。

つくづく、自分のことをいい気なもんだと思った。
ここを立ち去れば、家に帰ってしまえば、松村さんのことも動物たちのことも、
きっと日々の雑事に紛れてしまう、それが可能な立場なのだ。

そうしないために、できること。みなさんに知っていただこう。松村さんのことも、松村さんが友人とつくったNPO「がんばる福島」のことも。そして、いますぐ支援できる方法も。
エサを買うためのお金をカンパすることももちろん大事だが、直接牛たちのエサの牧草を買って送る方法もある。
以下、関心をもってくださった方、ご協力いただける方はぜひ!

●カンパ送付先  東邦銀行 安積支店 普通 644994 がんばる福島
●エサの購入 楽天市場「がんばる福島のご支援いただきたいリスト」
●エサの送付先 〒979−0401 福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29−38 ヤマト運輸広野センター止め 「NPO法人がんばる福島」
●松村さんのブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」
twitter NPO法人がんばる福島事務局
●「気になるニュース484」より 東京新聞朝刊2014年3月9日「あの人に迫る」http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/484-c46e.html
●動画「原発20キロ圏内に生きる男 Alone in the Zone」
www.youtube.com/watch?v=llM9MIM_9U4
●動画「原発20キロ圏内に生きる男・続編 Return to the Zone」
www.youtube.com/watch?v=NIhUP1RqaNU

降りしきる雨のなか、手を振って見送ってくれた松村さんとお父さんに感謝。

今年1月に避難先でお母さんが亡くなって以来、お父さんは富岡の家に帰って来られたのだ。庭先に停めた車の中に泊るつもりだった私たちのために、お布団を敷いて、ホットカーペットで温めてくださったお父さん、どうぞお元気で。

いつもくわえ煙草で、両手をポケットに突っこんで笑っている松村さん、どうぞお元気で。ヤマ(ポニー)の前髪はパッツンでなく、もう少し自然なラインのカットでお願いします。

モモコ(ダチョウ)も、石松(犬)も、サビとシロ(猫)とその10匹の子猫たちも、ヤマ(ポニー)も、たくさんの牛たちも、みんなみんな元気で。

イノハナノコロニマタアイマショウ(意味は内緒)!

そして「那須さん1人じゃ、いつまでたっても富岡に着けないよぉ」と車を出してくれた飯舘村の安齋さんと、ふと思いついて誘った私に「いく〜!」と即答してくれた小中高の同級生の敦ちゃん、ありがとう。.


那須圭子
1960年東京生まれ。フォトジャーナリスト。
早稲田大学を卒業した'83年、結婚を機に山口県へ。
上関原発計画を知り、反対運動を始める。
'94年、報道写真家・福島菊次郎氏からバトンタッチされる形で
原発の反対運動を撮り始める。
写真集『中電さん、さようなら〜山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
で「第12回日本自費出版文化賞・特別賞」を受賞。
雑誌、新聞のほか、映画『ミツバチの羽音と地球の回転』、
『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』、『Tous Cobayes?』に
写真提供。