美味しいデンマーク - マーケット


コペンハーゲンのマーケットホール

北欧はドイツ同様パンが美味しくてヘルシー。日本みたいに白くてフカフカパンではない。

Tea専門店、棚には抹茶と茶筅も売っていた。

カラフルな果実酒やコーディアルが色々

フレッシュハーブが沢山。

大きなマーケットで食材店からカウンターで食べる寿司からタパス、ワインバーと色々。驚いたのは全体がすっきり北欧デザインで店も清潔できちんとしていて洒落てる店ばかり、ほとんどちゃんとデンマーク人がやってるし。こういうところにありがちなエスニックごちゃ混ぜカオス感が全然なくてすごく新鮮。

近くには落ち着いた公園

美味しいデンマーク 其の一 Uformel

北欧スタイルとでも言うか、季節の自然の素材を生かしてユニークな新しいレストランが色々あるコペンハーゲン
当然ながらNomaは予約入れられませんでしたが、色々美味しいところがありました。

まずはホテルからすぐのUformel

Cevice of zander with grilled corn and herb oil
さっぱりとしたハーブスープの底にスズキの薄づくりが沈んでいます

Salted Mackerrel with tomatoes, roasted macademia nuts and tarragon
塩で〆たサバがタラゴンとその他ハーブのシャーベット(がソース)の下に
ちょっと甘酸っぱいハーブシャーベットと〆鯖がマッチしていて良かった

Oysters with grilled cabbage fresh hazelnut and oyster cream
エルダーフラワーが散らしてあって可愛い、キャベツに牡蠣が2つ包まれている、いい味であった。

Danish brown crab with onion and potato
オニオンとポテトとソースにおされて、あまり蟹の味は活きていなかったかも

Langoustine with basil, lard and pumpkin
包んであるのはパスタではなく、薄切りのかぼちゃ 奥のチビ春巻きみたいなのが美味しかった

Brill with crisp lettuce, chicken and crouton
鶏皮のカリカリ煎餅風クルトンとシャキシャキレタスととろけるようなブリルの身とのコントラスト
ブリルとはヒラメ的なフラットフィッシュでヨーロッパでよくみる。

Sweetbreads with sunchokes pickled rosehips and herb sauce
スイートブレッドは主に羊(牛豚の場合も)の膵臓とか、ちょっと白子のような感じ
う〜羊さんは食べないようにしているが、、、コペンでは他のレストランでも出てきたのだった

Iberian pork with grilled lettuce and pickled figs
ジューシーなイベリア豚

Coconut ganache with passion fruit sorbet and crumble

Sorbet of wild blueberries with fresh cheese and salted caramel
ここは各ディッシュは小さくて、スターターサイズ(どれでも10ポンド)。食事としては4皿+デザートでちょうど良い感じ。
メインの食事どころというよりも、ちょっと洒落たディッシュを味わいながらワインを楽しむところでしょう。

時間が早かったので、他には数組だけだったが、後日夜遅くに前を通ったらすごく込んでいた。やっぱり食より飲み中心かもしれない。
http://uformel.dk/forside/
Uformel
Studiestræde 69
1554 København V
Danmark
CVR 3580 7934

デンマークの旅 - ミッドセンチュリーデザインホテル

CopenhagenのHotel Alexandraはミッドセンチュリーのデザインホテル。


階段の各階踊り場には北欧デザインアイコンの椅子



部屋

カードのデザインも洒落てる
飾りの陶器類や版画がいい感じ

灰皿が素敵 ー部屋は当然禁煙

50年代の谷口吉郎建築の祖父のアトリエも、65年に増築した実家もすでになくなってしまった、その上ホテルオークラ本館も取り壊しで日本にはどんどんミッドセンチュリーな雰囲気がなくなりつつある中、ここコペンハーゲンのホテルは何か子供時代を彷彿とさせてくれるとっても落ち着くホテルであった。
http://hotelalexandra.dk/

竹頭帖「八月十五日」

「八月十五日」

 八月十五日の敗戦記念日が来る。もう十三年も歳月が過ぎたかと、いまさらながら烏兎匆匆の感が深い。
 私は當時、中島飛行機付属病院の院長として、田無の工場付属の病院を建設中であった。ほとんど出来上がって、手術室にガラス戸を入れるばかりになって、昭和二十年を迎えると、爆弾が降り出した。そして新築の病室は、海軍の對空機関銃兵が占領し、病院の裏庭には、機関銃がすえつけられた。
 左手の畑には、陸軍の高射砲隊が陣取っていた。一萬メートル以上にはとどかないということであった。八月までたびたび田無町は一トン爆弾をうけた。工場や病院には、幸いに被害がなかった。が工場の機能は完全に麻痺していた。田無町から来ている瓦斯管が、爆弾でやられると、専門に飛行機の發動機の氣筒管を製造していた工場は、製産の仕様がなくなった。行員たちは毎日、瓦斯管の復舊工事に働いた。復舊して明日から、ガスが出ると、喜んでいると、爆撃だった。
 工場の技師たちは、前から敗戦論者であった。科学的知識のあるものは、當然、そう考えたであろう。B29の部品を、戦利品の如く、工場内に並べ、工員たちの士氣を鼓舞しようと、軍が計画した。しかし、技師たちには、その部品がいかに良く出来ているかが手に取るように分った。そして、代わる代わる、院長室へ来て、悲観論を私に述べた。病院の院長室だけが、憲兵の目と耳のとどかぬ場所であった。八月十二日の朝私が工場へ行くと、向こうから庶務部長が馳けて来て、今日無条件降伏を受託したという確報が入りました、と言った。彼はニコニコしていた。私も何かホッとする思いで、うなずいた。
 その夜、近くの徳川夢聲老宅に出かけた。婦人と娘さん達は、原爆がおちるというウワサの日だから、浅川の方へ疎開しているということだった。老はひとりで原爆と戦うつもりだったのかと、可笑しかった。十三日の晩、私は妻、娘の疎開先の埼玉県の越生へ報告に行った。妻も私も、これで広島近くの八本松というところへ兵隊でヒッパられている倅が、無事で帰るという安心で心の片隅で浮き浮きするものがあった。十五日は病院一同で陛下のお言葉をラジオで聞いた。院長として私は、皆に何か言わねばならぬので,一同の前に立ったが、言葉は聲にならなかった。涙を流しぱなしにして、口をばくばくさした切りであった。
 虚脱状態が来た。これから日本はどうなるのであろう。どうなっても醫者という技術で行きて行けるだろうと、ボンヤリ、中庭のカンナを見ながら考えていた。
  ひたすらにカンナの朱に吸ひつく目


宮田重雄著 「竹頭帖」より 文芸春秋新社 昭和34年

犬肉食祭反対にご協力を

ワンコちゃんを救うためのお願いです。よろしくお願いします。

中国ユーリン市では犬肉フェスティバルでは一万頭の犬が残酷な方法で殺され、食べられています。Facebook, Twitterで拡散し、Humane Society及びChange.orgにおけるユーリン犬肉食祭り廃止/Stop The Yulin Dog Meat Eating Festival, に是非署名お願いします。

Humane Society International (国際人道協会)(英語のみ)
https://action.hsi.org/ea-action/action?ea.client.id=104&ea.campaign.id=38221&ea.tracking.id=website
英語のhumaneには慈悲深いという意味もあります。HSIは国際的に動物と自然を救う活動をしている団体です。

6月21日開催予定の【ユーリン市犬肉フェスティバル】の阻止を求めます ーChange.org より転載

私たち「RAISE YOUR PAW」は、中国ユーリン市で6月21日に行われる【ユーリン犬肉フェスティバル】の開催阻止を求めます。この行事のために、数多くの犬たちの命が失われ ています。今年こそ、この鬼畜的なフェスティバルに終止符を打つために、声をあげています。

この「フェスティバル」では、犬の肉を使った鍋料理、リーチーやお酒が提供されます。このため犬肉の需要が増えてしまい、野良犬やペット、虐待的な環境である犬肉ファームから集められた数千匹の犬達が人間の娯楽のために、命を落とします。

もう時間がありません。大量の犬たちが殺されてしまう前に、世界中から声をあげ、潔白な命を救いましょう。人間の命だけではなく、全ての命に対する尊重を。

既に世界中の90万人以上の方から、応援をいただいております。
皆様のご賛同とシェア、よろしくお願いします!

https://www.change.org/p/6%E6%9C%8821%E6%97%A5%E9%96%8B%E5%82%AC%E4%BA%88%E5%AE%9A%E3%81%AE-%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%B8%82%E7%8A%AC%E8%82%89%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB-%E3%81%AE%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99?utm_source=action_alert&utm_medium=email&utm_campaign=329635&alert_id=cUvfAWtABr_MfwpfsmzRBFgNP0KGGVevZaL8L6LwRxohc4rrpYHbME%3D
(転載終わり)

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犬一万頭を食べる「犬肉祭」を巡って中国で議論沸騰 http://matome.naver.jp/odai/2137184376213300201

英人気コメディアンが“犬肉フェス”反対、売買の根絶を訴える。http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150617/Narinari_20150617_32124.html

犬肉祭り、住民と活動家が対立 中国 http://www.cnn.co.jp/world/35049787.html

Humane Society International http://www.hsi.org/news/news/2015/06/teaching-chinese-animal-advocates-061115.html


全ての生きとし生けるものが幸いであれ、自由であれ
May all beings everywhere be happy and free
Lokah Samastah Sukhino Bhavantu
Om Shanti Shanti Shantihi

「松村直登さんのこと」那須圭子/文・写真

「松村直登さんのこと」ー20キロ圏内で見捨てられた動物達にエサをやり続ける

同窓生の那須圭子さんは90年代から原発運動を撮りはじめ、写真集『中電さん、さようなら〜山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』で「第12回日本自費出版文化賞・特別賞」を受賞される等、フォトジャーナリストとして活躍しています。彼女がFacebookにのせた文章と写真に心打たれ、ここに掲載させていただくことにしました。
那須さんありがとう。今後もご活躍お祈りしています。

「松村直登さんのこと」文・写真  那須圭子(フォトジャーナリスト)

少し遅くなってしまったけれど、大切なご報告をひとつ。

5月の終わり、311の福島第一原発の事故以来ずっとお会いしたいと思っていた方を、やっと訪ねることができた。1人暮らしの母を引き取ることが決まり、福島を訪ねる機会がぐっと減ってしまうだろうと思ったことが、私の背中を押した。

警戒区域である福島県双葉郡富岡町に1人で留まり、みんなが置き去りにした犬猫や牛などの動物たちに3年間エサをやり続けている、松村直登さん。私よりひとつ年上の54歳。まだまだ国内の大手メディアの報道は少ないが、海外では既に有名な人だ。

人口約1万6千人の町が事故直後から全町避難となって、無人の町となった。
松村さんもいったんは両親を連れていわき市の親戚の家に身を寄せようとしたが、「放射能背負ってっから、入んないでくれ」と断られ、避難所もいっぱいで、犬猫や家畜も置いていく気にはなれず、家に戻るしかなかった。福島第一原発から、わずか12キロほどしか離れていない。
両親はその後避難させたが、松村さんは1人残ることに決めた。
昨春までは電気もガスも水道も止まっていたので、カセットコンロと缶詰と湧き水でしのいだと言う。

「最初はすごかったぞ。電気もねぇし、音もねぇし。
夜になるとなんの音もねぇわけよ。建物あっても、人もいねぇし、車も走ってねぇ。
ものすごく不安だったな、その静かさに。もう寂しいなんてもん、通り越してたな」……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

隣りの家に置き去りにされた犬にエサをやったら、その隣の家の犬も吠えだして、その犬にエサをやったら、そのまた隣りの家の犬も吠えだして…そうして町中の動物たちにエサをやるようになったと言う。

町で出会ったダチョウは、持っていた犬猫用のエサをやったら、10キロ以上松村さんの車を追いかけて、とうとう家までついてきて居ついてしまったそうだ。

松村さんは、酪農家でも畜産家でもない。初めは、牛の面倒までみるつもりはなかった。
町中の牛舎で数千頭の牛たちが餓死し、牛舎の扉が開かれたあと外に出ることができた牛たちは、なんとか生き延びていた。
ところがある日、偶然出くわしてしまった。殺処分しようとする現場に。

「おめえら、なにしてんだ !?」 って言ったら、「今から殺処分です」って。
で、おれ、「ふざけんな、おめぇら、このやろう!こいつら何も悪くないんだぞ。
おれ面倒見っから、やめろ!」って。
そんなんが無ければ、おれも牛なんて見てなかった…と松村さん。
そして数10頭の牛を連れてきて、今も面倒を見ている。

「なんで殺さなきゃいけねぇ?こいつらの仲間なんか悲惨な思いで死んでったんだぞ。やっとこいつら元気になったら、またもう目ざわりだって、殺しちまえって?」
……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

その時の松村さんの思いと行動は、長く生き物と関わってきた私にも理解できた。牛ではないが、これまで30数匹の捨て猫と1匹の捨て犬の面倒を見てきた者として。しかし規模がちがう。エサや水の量もけたちがいだ。しかも高線量地帯に留まらなくては、世話はできない…。

自身の健康が気がかりではないのか…?

「最初はそういうの、心配したの。5年か10年たつと、ガンか白血病になるのかなって。医者に診てもらったら、なんかが発症するのは30年か40年先だべって。おれはその頃死んでっから、かまわねぇって(笑)」……動画『原発20キロ圏内に生きる男』より

動物たちは生きようとする、当たり前のことだ。彼らは何も悪くない。
それをなんの権利があって、人間が断とうとするのか。
人間がほかの生き物の命をコントロールしようとする、それが私も大嫌いだ。

ただ、松村さんの選んだ暮らしは、明日やあさって終わるわけではない。動物たちは、これから何年も、ずっとずっとお腹を減らし続けるのだ。
エサがいつまであるか、気が気でないだろう。自分が健康を損ねてしまったら、動物たちの世話もままならない。見えない放射能が、いつも自分と動物たちを取り巻いている…。

つくづく、自分のことをいい気なもんだと思った。
ここを立ち去れば、家に帰ってしまえば、松村さんのことも動物たちのことも、
きっと日々の雑事に紛れてしまう、それが可能な立場なのだ。

そうしないために、できること。みなさんに知っていただこう。松村さんのことも、松村さんが友人とつくったNPO「がんばる福島」のことも。そして、いますぐ支援できる方法も。
エサを買うためのお金をカンパすることももちろん大事だが、直接牛たちのエサの牧草を買って送る方法もある。
以下、関心をもってくださった方、ご協力いただける方はぜひ!

●カンパ送付先  東邦銀行 安積支店 普通 644994 がんばる福島
●エサの購入 楽天市場「がんばる福島のご支援いただきたいリスト」
●エサの送付先 〒979−0401 福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29−38 ヤマト運輸広野センター止め 「NPO法人がんばる福島」
●松村さんのブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」
twitter NPO法人がんばる福島事務局
●「気になるニュース484」より 東京新聞朝刊2014年3月9日「あの人に迫る」http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/484-c46e.html
●動画「原発20キロ圏内に生きる男 Alone in the Zone」
www.youtube.com/watch?v=llM9MIM_9U4
●動画「原発20キロ圏内に生きる男・続編 Return to the Zone」
www.youtube.com/watch?v=NIhUP1RqaNU

降りしきる雨のなか、手を振って見送ってくれた松村さんとお父さんに感謝。

今年1月に避難先でお母さんが亡くなって以来、お父さんは富岡の家に帰って来られたのだ。庭先に停めた車の中に泊るつもりだった私たちのために、お布団を敷いて、ホットカーペットで温めてくださったお父さん、どうぞお元気で。

いつもくわえ煙草で、両手をポケットに突っこんで笑っている松村さん、どうぞお元気で。ヤマ(ポニー)の前髪はパッツンでなく、もう少し自然なラインのカットでお願いします。

モモコ(ダチョウ)も、石松(犬)も、サビとシロ(猫)とその10匹の子猫たちも、ヤマ(ポニー)も、たくさんの牛たちも、みんなみんな元気で。

イノハナノコロニマタアイマショウ(意味は内緒)!

そして「那須さん1人じゃ、いつまでたっても富岡に着けないよぉ」と車を出してくれた飯舘村の安齋さんと、ふと思いついて誘った私に「いく〜!」と即答してくれた小中高の同級生の敦ちゃん、ありがとう。.


那須圭子
1960年東京生まれ。フォトジャーナリスト。
早稲田大学を卒業した'83年、結婚を機に山口県へ。
上関原発計画を知り、反対運動を始める。
'94年、報道写真家・福島菊次郎氏からバトンタッチされる形で
原発の反対運動を撮り始める。
写真集『中電さん、さようなら〜山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
で「第12回日本自費出版文化賞・特別賞」を受賞。
雑誌、新聞のほか、映画『ミツバチの羽音と地球の回転』、
『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』、『Tous Cobayes?』に
写真提供。